日本拳法連盟 青葉拳友会
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日本拳法を習練する諸君たちへ

日本拳法を始めとする格闘技の世界に入門する者の多くは、己の
腕力に自信がある上で更に強くなりたいと望んでいる者か、反対に
身体が弱々しくて周りの仲間から苛められた経験があり、その
悔しさから強くなりたいと切望している者かのどちらかと言えます。
しかし、実際は短期間で強くなる事など不可能に近く、途中で断念し
止めてしまう練習生も多くいるのが現実です。

斯く申す私なども初心者の頃、防具を装着しての乱稽古において、
いかに力一杯技を駆使しながら攻撃をしても兄弟子などの上級者に
躱され、逆に反撃を受けてその衝撃の激しさに闘う意欲さえ無くなる
事が度々有り、時には止めたい衝動に駆られた事もありました。
それでも稽古を重ねる事によって自然と忍耐力が備わり、身体の
機能が鋭敏になり、それと同時に拳法の技術も向上して、あんなに
嫌だった防具稽古にも興味を覚えるようになって、現在まで続ける
結果となっております。

この様に、くじけそうになる自分と戦いながら、苦しい稽古を
通じて肉体や精神を逞しく鍛え上げるのが格闘技の持つ本来の
意義であると言え、その事は、ただ単に相手を殺傷する技術のみを
身に付けるのではなく、人としての道徳心や礼儀作法、更には人格を
養う事にも繋がるのです。この事は、人間教育を主眼とした「武道」
精神が伝統的に生きているからに他なりません。

一方、スポーツは体力や技術論のみに集約され、思想、宗教、
哲学等の精神的な事は切り離してしまう傾向があります。
西洋の格言にも「身体の鍛錬はグラウンドで、人格の修養は教会で」
とありますが、精神や思想、道徳的な事は宗教家や家庭での躾でと
切り離し、スポーツを肉体の鍛錬と記録の更新に集約した事が、
世界的に発展した所以でしょう。

近年、我が国の格闘技が諸外国で持てはやされ、特に柔道等は
国際的なスポーツとなり、技術面においては格段の向上が見られる
一方、精神面と伝統が疎かであるとの指摘があります。
そのような中、日本拳法の国際的な親善試合で驚くのは、日本人
顔負けの武道精神を身につけた優秀な人材が輩出していることです。
彼らは礼儀正しく基本に忠実で、そして一様に日本の伝統に興味を
持っています。

願わくば、これからの日本を背負って立つ若者が、それも日本拳法を
始めとする格闘技を習練しようとしている若い修行者が、型の模倣に
終わる事無く、伝統的な精神も忘れずに学んで欲しいと密かに希望
するものです。
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by dohi-column | 2007-10-31 00:00
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